この記事の要点
起業前のスキルの棚卸しは、資格や職歴といった分かりやすい専門スキルだけでなく、人の話を深く聞く力、体力など「自分にできること」を広く書き出す作業です。そのうえで、本心からやりたいこと・自分が困ってきたこと・解決したい社会課題を、人生全体を振り返るくらいまで掘り下げて重ね合わせると、事業の方向が具体的になります。
公開日 2026-10-04 執筆:原本 昌悟(ノルツ株式会社 代表取締役)
起業・独立前の「スキルの棚卸し」とは何をすることですか?
自分が何をできる人間なのかを、頭の中ではなく紙やデータの上に全部書き出す作業です。独立すると勤め先の看板や肩書きが外れるため、残るのは「自分にできること」だけになります。だからこそ、準備段階で一度、自分の持ち物を数えておく必要があります。
ノルツ株式会社代表・原本は、起業を考えている人に向けて次のように話しています。
「自分自身が本心から本質的にやりたいことで、どんなスキルを持っているのか、どんなことができるのかっていうのを、最初にやっぱり棚卸しはした方がいいと思います」
ポイントは「やりたいこと」と「できること」をセットで並べることです。どちらか一方だけだと、やりたいけれど提供できない、あるいは提供できるけれど続ける気力が湧かない、という状態になりやすくなります。
最初に書き出す3つの列
- できること:仕事で任されてきた業務、使えるツール、資格、経験年数
- やりたいこと:本心から取り組みたいテーマ、解決したい課題
- やってきたこと:職歴だけでなく、社外活動や趣味で続けてきたことも含める
この3列を1枚に並べると、重なっている部分が見えてきます。重なりは、創業初期にいちばん早く形にできる領域です。まずは時間を30分だけ取って、思いつく順に箇条書きで埋めていくところから始められます。
専門スキル以外に、棚卸しで書き出したいものは何ですか?
人の話を深く聞く力や、体力といった、資格名にならないものも書き出す対象です。代表・原本は、分かりやすいスキルだけでなくこうした要素も含めて棚卸しすることをすすめています。名前が付いていないだけで、仕事を成立させているのはこの部分であることが少なくありません。
専門スキルは履歴書に書けるので、たいていの人は自分で把握しています。一方で、取りこぼしやすいのは次のような「仕事の土台」にあたる力です。
| 分類 | 書き出す例 | 創業期に効く場面 |
|---|---|---|
| 対人の力 | 人の話を深く聞ける、初対面で緊張しない、怒っている相手に冷静に対応できる | ヒアリング、相談対応、トラブル時の初動 |
| 身体・体力 | 体力がある、移動が苦にならない、朝が強い | 現場仕事、イベント、立ち上げ期の長時間稼働 |
| 段取りの力 | 複数案件を並行で回せる、締切を守る、記録を残す | 一人で受注から納品まで回すとき |
| 学び方 | 新しいツールをすぐ触る、マニュアルを読み切れる | AIツールや業務システムの導入 |
「人の話を深く聞ける」は、職務経歴書には一行も書かれないことが多い力です。けれど、相談を受ける仕事、オーダーメイドの仕事、継続契約の仕事では、そこが提供価値の中心になります。体力も同じで、立ち上げ期に手を動かし続けられるかどうかは、事業の進み方を左右します。
書き出しに詰まったときの問い
- 同僚や友人から「助かった」と言われたのは、どんなときだったか
- 自分は苦にならないのに、周りは面倒くさがっていた作業は何か
- 頼まれごとの中で、何度も繰り返し頼まれたことは何か
この3つの問いに答えていくと、自分では当たり前すぎて見えていなかった力が言葉になります。
スキルの棚卸しは、どこまで掘り下げればいいですか?
代表・原本は「自分の人生全部振り返るぐらい考え抜いた方がいい」と話しています。直近の職歴だけを整理して終わらせず、学生時代や社外の活動まで含めて振り返る、という深さです。時間はかかりますが、ここで出した材料が、事業の軸にも営業の言葉にもなります。
棚卸しというと、転職活動の職務経歴書づくりのイメージで、直近3〜5年の業務を整理して終わりにしてしまうことがあります。起業前の棚卸しはそれより範囲が広く、代表・原本は次のように表現しています。
「実際にはもう自分の人生全部振り返るぐらい考え抜いた方がいいと思います」
振り返る順番の一例
- いまの仕事でやってきたこと(業務・成果・任されていた役割)
- これまでの職歴すべて(辞めた理由、合っていた仕事、合わなかった仕事)
- 社外の活動(副業、ボランティア、コミュニティ、趣味で続けてきたこと)
- 学生時代までさかのぼった経験(熱中したこと、苦労したこと)
- 自分が困ってきたこと、不便だと感じ続けてきたこと
一度に全部やろうとすると止まるので、1項目ずつ日を分けて書き足していく進め方でも構いません。大事なのは、分量より「もうこれ以上は出ない」と思えるところまで出し切ることです。出し切った状態からは、どれを事業にするかという選択の話に移れます。
「本心からやりたいこと」は、どうやって言語化すればいいですか?
自分が困ってきたこと、解決したい社会課題から逆算すると言葉になります。代表・原本は、起業の動機を「このままでは不安だから」で止めず、何を成し遂げたいか・誰のどんな課題を解決したいかまで深掘りすることが大切だと話しています。ここが決まると、事業の説明が一本の線になります。
起業のきっかけが「今のままでは不安だから」であること自体は、よくある出発点です。代表・原本も、起業について次のように話しています。
「起業するっていうのは先ほどお伝えした通り非常にリスクの高い行動になります。とはいえ、このままじゃまずいなっていう時に現状を打開するための一手になる可能性もあります」
その一手を具体的な事業に変えるには、不安を出発点にしたうえで、もう一段掘る必要があります。掘るための問いは次のとおりです。
やりたいことを掘るための問い
- 自分はこれまで、何に困ってきたか。その困りごとは、いま解決されているか
- その困りごとで、同じように困っている人は誰か
- 解決したい社会課題があるとしたら、それは何か
- 仮にお金の心配がなかったとして、それでも関わり続けたいテーマは何か
自分の原体験から出てきたテーマは、人に説明するときの熱量が変わります。事業計画書や営業の場面で、なぜあなたがそれをやるのかという質問に、自分の言葉で答えられるようになります。
棚卸ししたスキルとやりたいことは、どう組み合わせて事業の方向を決めますか?
やりたいこと側の課題に対して、棚卸ししたできることのうち何が使えるかを線で結びます。重なった部分が、最初に提供するサービスの候補になります。重ならない場合は、提供方法を変えるか、人の力を借りる前提で設計するかを考えます。
進め方はシンプルで、2枚のリストを突き合わせるだけです。
- 左に「解決したい課題・やりたいこと」、右に「できること(専門スキル+対人力・体力などを含む)」を並べる
- 右のどれを使えば左が解決するか、線で結ぶ
- 線が多く集まった組み合わせを、最初のサービス候補として1〜3個に絞る
- その候補ごとに、誰に・何を・どう届けるかを一文で書いてみる
線が結べなかったときの考え方
- 提供方法を変える:自分が手を動かす形から、相談に乗る形・仕組みをつくる形に変えられないかを考える
- 足りない部分を補う:外部パートナーや協力者に任せる前提で設計し、自分は得意な工程に集中する
- 順番を変える:いますぐできる仕事で収入の土台をつくりながら、やりたいテーマを並行して育てる
線が結べないこと自体は、準備段階で分かればむしろ好都合です。始めてから気づくより、修正にかかる時間とお金がずっと少なく済みます。
棚卸しの結果は、事業計画書にどう反映すればいいですか?
棚卸しで出た原体験は「起業の背景」に、できることのリストは「自分にできること」の項目に入ります。代表・原本は、事業計画書をテンプレートの穴埋めにせず、営業資料・説明資料を作る感覚で思いを込めて作ることをすすめています。棚卸しをしておくと、この2項目が自分の言葉で埋まります。
代表・原本は、事業計画書の作り方について次のように話しています。
「事業計画書って例えばネット上からテンプレートみたいなのをダウンロードして書いてしまった場合、何というかあんまりそこに熱が入らないと私自身は思っています。もう本当に営業資料、説明資料を作るような感覚でちゃんとそこに熱を入れる、思いを入れる」
棚卸しが直接つながる項目
| 事業計画書の項目 | 棚卸しのどこを使うか |
|---|---|
| 独立・起業の背景、自分の原体験 | 人生を振り返って出した、困ってきたこと・解決したい社会課題 |
| 自分にできること | 専門スキルに加えて、対人力・体力・段取りなどを含めたリスト |
| 事業モデル(商流図) | できることのうち、どの工程を自分が担い、どこを外部に任せるか |
このほか、事業計画書には市場規模をTAM・SAM・SOMで整理する、3C分析やSWOT分析といった一般的な分析手法を使う、PEST分析・PESTLE分析で現状と将来を見る、収益モデルと資金繰り表をつける、といった要素が入ります。フレームワークは整理の道具なので、埋めること自体が目的にならないよう、棚卸しで出した自分の言葉を先に置いてから当てはめていくと、内容が噛み合います。
なお、創業時の計画書の様式や記入例は公的機関でも公開されています(2026年9月時点)。制度や様式は変わることがあるため、提出先がある場合は最新の公式情報を確認してください。
スキルの棚卸しと同時に、お金はどこまで見ておけばいいですか?
独立すると収入が一度ゼロになるため、出ていくお金の見積もりを先に固めるのが現実的です。代表・原本は、売上は始める前には読めないので仮説ベースでよい一方、出費はかなり明確に分かると話しています。経費側を詰めておくと、棚卸しで決めた方向を落ち着いて進められます。
代表・原本は、独立の構造について次のように話しています。
「独立するということは、収入は一度ゼロになります。それで1円以上稼がないと、結局収入がゼロのままになってしまう」
この前提に立つと、準備の優先順位がはっきりします。見積もるべきは、読めない売上より、計算できる支出です。
「売上いくら上がりますかっていうのはスタートする前には正直分かりませんので、そこは仮説ベースでいいんですけれども、その出費の方がいくらかかるのかっていうのは、かなり明確に分かると思うんですね」
出費側で先に埋められるもの
- 半年後の家賃、1年後の電気代のように、期間を区切って計算できる固定費
- 生活費(世帯での支出を含む)
- 事業に必要な初期費用と月々の経費
そのうえで、代表・原本は「いつまでにいくら稼がないといけないのか、あるいは半年ぐらい余力を持つためにはいくら準備をしないといけないのか」という考え方を挙げています。独立後の状況は人によって差があり、1年目から大きく稼ぐ人もいれば、1年経っても収入が立っていない人もいる、というのが代表・原本の見聞です。だからこそ、出ていくお金の見通しを先に立てておくと、焦って方向を変えずに済みます。
また、家族や周囲の理解を得ておくことも、資金面・精神面の両方でリスクを抑えることにつながります。棚卸しで出した「自分にできること」と「やりたいこと」を、そのまま家族に説明してみるのは、言語化の練習としても有効です。
よくある質問
スキルの棚卸しは、どれくらい時間をかければいいですか?
決まった所要時間はありませんが、ノルツ株式会社代表・原本は『自分の人生全部振り返るぐらい考え抜いた方がいい』と話しています。直近の職歴だけで終わらせず、過去の職歴、社外の活動、学生時代まで範囲を広げるため、1日で終える前提にせず、日を分けて書き足していく進め方が現実的です。
資格や実績が少なくても、棚卸しする意味はありますか?
あります。棚卸しの対象は資格や職歴だけではなく、人の話を深く聞く力や体力といった、名前の付いていない力も含まれます。周りから繰り返し頼まれてきたこと、自分は苦にならないのに周囲は面倒がっていた作業を書き出すと、提供できる価値が見つかりやすくなります。
やりたいことが見つからない状態でも、起業の準備は進められますか?
進められます。やりたいことが先に見つからない場合は、自分がこれまで困ってきたこと、不便だと感じ続けてきたことから書き出すと手がかりになります。そこから「同じことで困っている人は誰か」「解決したい社会課題は何か」へと広げていく順番でも、事業の方向は言葉になっていきます。
事業計画書はテンプレートを使ってはいけないのですか?
使ってはいけないということではありません。代表・原本が話しているのは、テンプレートをそのまま穴埋めすると熱が入りにくいという点で、営業資料・説明資料を作る感覚で思いを込めて作ることをすすめています。棚卸しで出した原体験と「自分にできること」を先に自分の言葉で書き、そのうえで様式に当てはめる順番が有効です。
参考・出典
- 日本政策金融公庫(創業計画書の様式・記入例などを公開)(2026年9月時点)
- 中小企業庁(2026年9月時点)
- J-Net21(中小企業基盤整備機構)(2026年9月時点)
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